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十年一昔、十把一絡げ

V6に関係するWEB上に漂う自分の記述(2000年~)をサルベージしたり、感想を書き直してみたり、何となくツイッターに連携できる形で書き直しています。偏りはあると思うので生暖かい目で眺めて頂けたら幸いです。

コンサートの思い出綴り~J-FRIENDS COUNTDOWN FROM TOKYO~

■参戦日

2000年12月31日 23:00start

 

2本目にしていきなり他Gとの合同コンサートの話になりますw

でもブイが出てたんだもの。自分も行ったんだもの。なので残しておきます(笑)。

 サイトに残っていたレポを改めて読み返してみたのですが、まずもってチケット争奪のところからいろいろ手間だった様子。

 

・Jフレシングル「I WILL GET THERE」を買う

・封入されていた抽選券と応募はがきを出す

・抽選会当選のハガキが届く

・12月17日にお台場の指定会場にてガラポンする

 ・アクアシティ

 ・船の科学館

 ・ビーナスフォート ←私はここに行った

 ・国際展示場で降りたところの広場か何か ←上の妹はここに行った

・ガラポンで当たりが出たらハガキに「当たり」のはんこが押される

・はんこが押されたハガキを持ってフジテレビへ行く

・フジテレビでハガキとチケットを引き換え、お金を払う

 

何だこの手間。

しかもこれ、ガラポン並んだりチケット引き換えに並ぶのは12月のお台場、外です。

寒いったらありゃしない。*1

 

しかし、いただいたチケットにはJフレメンバー全員の顔(CDにもあったっけ…斜め上を向いてる横顔)とメンバーの名前が印刷されているので、今見ても素敵チケット…♡て思います。

 

集合時間が1時間ほど早かった上の妹は、早々に「外れた」と連絡してきたため、ビーナスフォートで並ぶ自分にプレッシャー倍増。ところがあっさり「おめでとうございますー!」と当たったので、無事行けることに。とりあえずは私と上の妹だけが行く予定だったので特に問題なかったのですけど、その後「母も行きたい…」と言い出し、母と下の妹の分のチケットを探す羽目に。で、何とか手配したところで、「末娘(=下の妹)が受験生だからやっぱり母も我慢する」とか言い出し、手配したチケットどうするんじゃい!とブイ担1年目にしてチケット業務をいろいろ経験することに…。でもあの時も可愛らしいお嬢さん方にお譲りすることができてよかったです。

 

それまで年越しを外でしたこともないし、そんな夜遅い時間に出かけたこともなく。

東京ドームはその年のジャニ運動会、スマコン*2に続き3回目だったので、何となく慣れてきたところでしたが、圧迫されるような感じの人の多さとか会場の雰囲気とかはカウコンが一番だったと思います。

実際、グッズ売り場もべらぼうに並んでいて、「終わってから並べばいいや」と判断したら終演後はいろんなものが売切れだったっていうね…。この経験は翌年以降のカウコンに活かされていくわけですw

 

この頃はまだJフレがガッツリメインだったので、23時スタートから23:45のテレビオンエア開始までの「第一部」で歌を歌ってたのもブイとキンキ。

ブイは

・自由になるために

・何かの曲←当時の私の勉強不足により何の曲だか分からなかった

(以下ほぼサビのみのメドレー)

Music for the people

TAKE ME HIGHER

・Be Yourself ←これは間奏のみ。センターサークルでアクロバット披露。

・Made in Japan ←突然坂本氏のラップからスタート。惚れ惚れ*3

・over

・CHANGE THE WORLD

・本気がいっぱい ←センターサークルにていつものマイクスタンド芸。

・愛なんだ

・WAになっておどろう

 

えっ。こんなに歌ってたの!?って今(2015年)思いました。

この時からか、剛ちゃんはライオンみたいなヘアスタイルになっていて、「剛のアタマ2.5倍」とかいうメモが…(失礼)。

その後キンキメドレーになり、ほとんど曲名が分からずw

キンキメドレー後は、NHKホールから移動してくるトキのバス車内と中継を繋いでトークしているうちに「第一部」は終わっていったようです。

で、ブイとキンキで話をしている時、光一が「リーダー(城島さん)がいない今、長老なのは…」と坂本さんを仰ぎ、それに乗っかるようにして博様が「長老、長老♪」と囃し立て、客席からも「ちょーろー!」と声が上がるようになったところで、坂本さん一言。

 

「あのさぁ。あんまり長老って言わないで。感じ悪いから」

 

脅しか…!(コラw)

もちろんその後、誰も長老とは呼ばなくなったようです。まだ尖がってたんですなぁ坂本さんも。まあ二十代だったしな。

 

テレビオンエアが始まった「第二部」になると、城島さんがやってきてクレーンで聖火台に火をともしたり、全員集まったところで「I WILL GET THERE」を歌ったり、前年の失敗*4を繰り返さないために90秒前からカウントしたり…と、そつなくカウコンが過ぎておりました。

今年の抱負、みたいなコーナーでは博様が「俺達『20th Century』は名前を変えません!」と宣言しておりました。21世紀の誓い(笑)。

 

テレビでもオンエアされておりましたが、21世紀21曲メドレーは以下の通り。

・ジャニーズ「太陽のあいつ」
フォーリーブスブルドッグ」←ブイさん達マイクスタンドについてるゴムでビヨビヨ。坂本氏お似合い。
郷ひろみ「男の子 女の子」
近藤真彦「スニーカーぶるーす」 ←長瀬はこの曲似合ってたなぁ…。
・シブがき隊「NAI NAI 16」←カミの三人で。これもぴったり。
・The Good Bye「気まぐれOne Way Boy」←イノ・ツヨ・リーダーが弾き語り。見てる時はイノ・ツヨまでしか判別できず。
・少年隊「仮面舞踏会」←銀のテンガロンハット被ったヒガシ様登場。周囲で歌っていた坂本氏@上着少しはだけ気味の方にくぎづけ。
光GENJI「STAR LIGHT」←プリンス(赤坂)、アツヒロ、山本がローラースケートで登場。こっち(三塁側)に来たのは山本だったが、しきりに「プリンス~!」と叫んでた姉妹。カッコよかった~♪
男闘呼組「DAY BREAK」
・忍者「お祭り忍者」
SMAP「$10」←この頃三塁側の花道に坂本氏が(笑)。
TOKIO「LOVE YOU ONLY」
・V6「Music For The People」←サイン投げ。みんなセンター花道から。もっと散って投げてくれ(笑)。
・Kinki Kids「硝子の少年」
TOKIO「みんなでワッハッハ」 ←ボール投げ。
・V6「CHANGE THE WORLD」
・Kinki Kids「夏の王様」←サイン投げ。ツヨシのサインが私らの10列くらい前に落ちた。
・嵐「A・RA・SHI」 ←大野・桜井・相葉の三人登場。ニノと松潤は年齢制限の為欠場。桜井翔がこっち来た。
・ジャニーズJr「明日に向かって」←タッキー・今井翼登場。リフトに乗っていた。
J-FRIENDS「I WILL GET THERE」

 

この年、まだニノと松潤は出られなかったんですね…(遠い目)。

タッキーですら、最後の挨拶で「18になって、ようやくJ-FRIENDSの皆さんとカウントダウンライブに出られるようになりました!」と言っていたくらいの頃。みんな若かったんだな…。

 

あ、ちなみにメドレーの最後の方では坂本さん既にお疲れだったらしく(わたし視点での観察メモによる)、メインステージをうろうろしてただけのようです。その後よく「他のメンバーはみんな散っていっちゃうから、自分はメインステにいるようにしてる」みたいなことを仰ってますが、はてさて。

 

メドレーの後にトキパートがあったのですけど、それやってる間にテレビオンエアは終了しており、現場の人間にはいつテレビが終わったのか分からない状態でした。途中でブイさんとかが客席に背を向けて何か話していたようなので、それがテレビ向けの挨拶だったようです。

生でトキのライブパフォーマンスを見たのはこれが初めてなのかな…?「ギターを持った城島リーダーはカッコイイ。でもリーゼントじゃなくて残念」とw

 

あ!そうだ。

入場したところでTシャツもらいました。チャリTシャツ(ちょっと違うw)。

「坂本さんが二人くらい入りそうなくらい」大きかったTシャツ。*5

その後部屋着として使い込んで、もう捨ててしまったかな。

当時のブイコンのチケットが5,000円だったので、Tシャツついてるならまあカウコンチケが6,000円でも納得できるわ…と思ったものです。

*1:しかし一番寒かったのは10周年の握手会@名古屋だったと思います。12月末、残雪を見ながら外で並んだ記憶

*2:私のジャニコン2つ目はS mapツアーでございました。上の妹がスマFCに入っていたのです。

*3:当時のレポから転載w惚れ惚れって書いてあったのでそのまま転載w

*4:光一さんがカウント間違えて一足早く年明けしてしまった事件

*5:29歳当時の坂本さんはまだぺらっぺらの身体であられました。