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十年一昔、十把一絡げ

V6に関係するWEB上に漂う自分の記述(2000年~)をサルベージしたり、感想を書き直してみたり、何となくツイッターに連携できる形で書き直しています。偏りはあると思うので生暖かい目で眺めて頂けたら幸いです。

東京サンダンス ~21世紀への伝言~  感想文(2月24日14:00)

<本日の弘二のお習字:「針木」(ハリウッド)>
<本日のメリケンバンド:「俺の彼女はプロボーラー」>


初演の頃はまだブイにちっとも興味がなかったので、今回が初の「サンダンス」観劇。
と同時に、ストレートプレイをするトニの御三方を見るのも初めてで、よく考えてみるとストレートプレイそのものも実はほっとんど見たことがなかったらしい、私。
そんなこんなで始まる前は一人でドキドキしてしまっていた(^^;)。

 

いざ幕が上がり話が進んでいくにつれ、何か「痛い」思いが自分の中に沸いてきた。
「夢」と思っているものはちゃんとあるのに、そこに辿り着けずに足踏みしている3人。
コツコツと書いてはボツにされてる脚本家志望の治も、
ダラダラと役者のようなことをやりつつも女の世話になってる弘二も、
口ばっかり大きなことを叩いて過去の栄光にすがっている圭三も、
それぞれのどこかに、今の自分が見えてしまって痛かった。
自分は音楽に関わっていきたい、と思ってる身であるため、どうしても圭三やバンドメンバーのラッキーさん辺りにかなり入ってしまっていたけど、特に後半は正直言って正面からこの話にぶつかっていて自分は大丈夫だろうか?と思ったりもした。

 

以下は自分の中に直線的に飛び込んできた台詞と、それに対する自分の痛さ。
もうほんとに、彼らの演技がどうとか、共演者の方達がどうとかってところまで気持ちがまわってないんで、あくまで台詞と、自分の身が置かれている状況とをただつらつら語ってるだけだったりする。

 

■圭三「俺達に足りないのはコネとツテだ!」
割と最初に出てくるこの台詞は、私にとって最初の痛みだった。
最終的に「本物」として残っていく為にはもちろん努力や才能が必要だけど、そこに至るまでにはコネやツテも不可欠なものだろう、と私は思っているから。
ポピュラーの世界がどうだかはわからないけど、少なくとも自分が今いるクラシック寄りの音楽の世界は驚くほどに狭い。その中を生き抜いて行くには人との繋がりにもウェイトが置かれる。
私は今専攻している楽器で生きていこうとは思っていないけど*1、でもそこから大して離れてないところで何とかしていきたいから、先に現場で活躍されてる方や同じ方を向いて頑張ってる友人、後輩達との繋がりは、ホントに大切にしていかなければいけないと思っていた矢先の、この台詞。
ただ、コネやツテを捕まえられるのも実力の内、と解釈はしているが。*2

 

■ラッキーさん「辞めたくなかったんだよ!…音楽を。」
実家の父親が危篤に近い状態になり、戻らなければならなくなったラッキーさん。
でも一発当ててメジャーになれば実家に帰らなくてもすむ、という思いから盗作してしまった件で、責め立てる圭三に言った一言。
盗作したことで確かに今までの圭三やタカとの思い出まで汚れてしまったかもしれない。
周囲に顔向けできないような恥をかいた、かかせたかもしれない。
でも…辞められないんだ。辞めたくないって気持ちは、正面から殴られたみたいにきた。
「音楽を、殊に楽器をやってる人間は、そう簡単には音楽から離れられないんだよ」
ある先生に言われたこの言葉は、時が経つにつれて自分の中で重みを増している。*3
去っていく前にラッキーさんが残した、「俺には俺の音楽はなかった…ただのロックファンだ」
いつも自分が抱えている、でも認めたくない不安がこの一言に詰まっていて辛かった。*4

 

■弘二

  「以蔵の役をもらってから2ヶ月…初めて役者が面白いと思ったんだ。」

  「…うまくなりてぇよ。本物の役者になりてぇよ。」

  「…でも、怖いんだ。」
人斬り以蔵*5の役を降ろされて酔っているかの状態で治の部屋に現われた弘二。
役をもらってからの2ヶ月間、どれだけ役について勉強したか、台詞読んだか、そしてどれだけ「心が動く」ことを実感したかを一人語りつづける、弘二の長丁場。
ようやく面白さを知って、本物になりたいと思い、治に「なるしかねぇじゃん。」と言われたそこで、「怖いんだ」と。
口に出せない、出したくない、むしろ消してしまいたいくらいの、本音。「怖い」。
プロになる為に、本物になる為に、どうしても踏み出さないといけない1歩がある。
でもその足を着けるところはどうなっているのか、ちっともわからない。
コンクリートの上なのか、水溜りの上なのか、それとも底が抜けているのか。
「怖い」…何にも縋れない、支えられない。
楽しさを知ったから、本物の世界を垣間見たから感じる「怖さ」。
…今の自分が、誰にも言えずに、自分の中に抱えているもの。

 

「…でも、怖いんだ。」この一言に、ストーン、と落とされた気がした。フッとテンションが落ちた。

 

「自分で勝手に自分を信じてやるしかないじゃん。」と治は言う。
弘二に、圭三に、自分自身に。
それはでも、自分の中の「怖さ」をちゃんと認めて、向き合って、ようやく言える言葉なんだと思う。
言葉ではわかってる。理屈ではわかってる。だけど…私にはまだその「怖さ」と向き合う勇気がないのかもしれない。


インディアンの若者が本物の力を手に入れるために行う儀式「サンダンス」。
三日三晩同じ所で踊りつづけ、四日目の朝自分の血肉を裂いて最後の儀式を終え、初めて得られる本物の力。
彼らにとっての「サンダンス」は、結局芝居の最後になっても終わることなく、どこまでも続いていくように思えた。
と同時に、自分にとっての「サンダンス」もまた現在進行形なのかもしれない。

 

2回目以降、もう少し客観的に観れるといいなぁ、と思ってたりする。*6

*1:でも結局その後10年近く、その「専攻している楽器」でちょろちょろお仕事をし、ギャラを頂き、中心にその楽器がある生活をしていくことに。世の中はどうなるか分からないものです。

*2:ちょっとお偉方とお話した時、「これからはビジュアルも重要だから。ある程度演奏できる人は大分増えてきたけれど、じゃあそこから先に進むにはビジュアルも大事だからね」って言われたのを今でも覚えています。少なくとも「売れる」「名前を知ってもらう」にはそこも大事なんだなーと後日思ったものです。

*3:やべぇ…これどの先生に言われたんだっけ…(えw)。

*4:仕事として音楽をやっていく覚悟が決まりきってなくて、でも状況的に大学卒業後もとりあえず本番が用意されていて流されていくことに不安を感じてた時期だったんだと思います私。

*5:この当時はまさかこの「人斬り以蔵」をその後剛ちゃんがやることになろうとは夢にも思わず。

*6:あまりに主観的に観てしまったため、同じく短大卒業を控えていた上の妹と二人でコクーンから渋谷駅までの道のりを泣きながら歩いたのもまたよい思い出。