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十年一昔、十把一絡げ

V6に関係するWEB上に漂う自分の記述(2000年~)をサルベージしたり、感想を書き直してみたり、何となくツイッターに連携できる形で書き直しています。偏りはあると思うので生暖かい目で眺めて頂けたら幸いです。

家族でアイドルを追いかける日々その2~ひとり、ふたり、そして担替え~

ひとつ前のが私と上の妹との話でうっかり長くなってしまったので、今回は下の妹と母がV6に嵌った話をしたためようと思います。

 

■出会いは思いがけないところに落ちているもので

前回の経緯からめでたく坂本担となった私と、強固として博様担を貫く上の妹が常日頃からぶいしっくすぶいしっくす騒いでいたので、自ずと下の妹や両親も6人の番組を見、音楽を聞く機会が増えていきました(強制的に)。

基本ミーハーで、この頃に「母をやめる宣言」をした母*1としては、一緒にカウコンや横アリのブイ冬コンに行きたかったようなのですが、当時下の妹が高校受験を控えていたため、「娘がこれから受験だから我慢する…」と言っておりました。正確に言うと上の妹も受験生だったけどね!*2もっと言うと私は大学卒業して無職みたいな何かになる手前だったけどね!*3

 

で、下の妹も受験が終わり、晴れて母+娘3人で揃って観に行ったのが、トニの舞台「東京サンダンス」の再演でした。

1回目は上の妹と二人で観に行き、話の内容に対して自分達をリンクしすぎて、わんわん二人で泣きながら渋谷駅までの道を歩いたという、ちょっと恥ずかしい思い出もありつつ。2回目の観劇の際に、4人揃いで行ったのですが。

その日、客席に健ちゃんが来てたんですね。

で、私達はちょうどその列の位置くらいのバルコニー席(中2階)で。

うおおおおおどっち見たらいいか分からない!!!(コラw)

客席通路を使った演出の時は両方見られてラッキー☆ミ(コラw)

という感じで、私達4人は心の中ではしゃいでおりました。

 

で。

終盤、誰だったっけ…トニ3人のどなたか(たぶんイノアラさん)の長台詞があったのですが、ここで事件が起きました。

起きたんです……いや、正しくは、寝たんです。健ちゃんが。

ふと視界の端で、こくん、と船を漕ぐ小さな頭。

………健ちゃん!!!

ちょ、今大事なとこだから!!!という心の叫びは届いたかどうか分かりませんが(たぶん届いてない)、その姿を視界に捉えていたのがもう一人。

 

下の妹でした。

ええ、この瞬間、「健ちゃんかわいいいいいいい!!!」となった下の妹、見事に健ちゃん担となりました。一生健命です。狂健病です。2014年の今でも健ちゃん担です。まさかそこに落ち着くとは。

 

翻り、舞台を真剣に観ていた母。

最後の最後で、イノアラさんがアカペラで「仰げば尊し」を歌うんですね。

…もうお気づきでしょう。

そう、そのアカペラの歌声に、母ノックアウト。

「何あの声!素敵!カッコイイ!ヨシヒコくんをうちの娘の婿に!」

と、帰りの車の中*4で言い続け、しばらく口癖は「ヨシヒコ君を婿に!」でした。

母よ…残念ながら今に至るまで娘は誰もヨシヒコ担にはなってないよ…磁石はあるけど…。*5

 

かくして、

母:イノアラ担

私:坂本担

上の妹:博様担

下の妹:健ちゃん担

と一旦落ち着いたのが2001年3月のことでした。

 

■チェンジザワールドは突然に

それからというもの、私が単独で観に行くものがあったりしつつも、家族で参戦する機会もぼちぼち増えていきます。

2001年4月のトニコン@国際フォーラムの日、下の妹は高校の入学式でした。妹は真新しい制服に身を包んだまま、母も小奇麗な格好で、初のトニコン参戦(笑)。

2001年8月のブイ夏コン@代々木は、上の妹が学校の研修旅行で北欧に行っていたため参戦できなかったけれど、母と私と下の妹(と、当時仲良くさせて頂いていた友人波田町子さん)でアリーナバクステから2列目という素敵なお席で見させて頂きました。

 

あ、ちなみに2001年の夏コン初日@名古屋は坂本さん30歳のお誕生日で。

当時サイトを運営していた*6私は、坂本さんのお誕生日仕様にしたところで「…コンサートに行きたい」と思い立ち、日付が変わった頃にチケット掲示板*7でチケットを確保し、名古屋在住の友人に連絡して宿を確保し、それらが揃った午前1時半頃、寝る支度をしていた両親に

「明日、坂本さんをお祝いしに名古屋行ってくるから!」

と高らかと宣言しました(笑)。

ブイのヲタ活に関して理解を示していた母も「は?何言ってんの?」ていう反応でしたが、「チケットも宿も手配したから!だから行ってくる!」と言ってその日は寝ました。

翌朝、同じく「今日これから坂本さんをお祝いしに名古屋行ってくるから!」と妹二人に告げたところ、「は?意味わかんないんだけど?」と即答されました。こういう時の足の軽さは私ピカイチ!(計画性がない、とも言える)

 

おっと、話が逸れました。チェンジザワールド。

2001年の秋、坂本さんのミュージカル「FOOTLOOSE」(初演)が上演されました。ヲタになって私と上の妹は2シーズン目、母と下の妹は1シーズン目なのでまだまだビギナー熱は高く、4人揃ってではなかったと思うけど、4人とも観に行ったんですよ。これ。

これを観た母が、えらく「坂本兄さんカッコイイ!歌声が素敵!」と気に入りまして。それからしばらくは坂本兄さん坂本兄さん言ってました。

ターザンのサントラも聞きました。もちろん「You'll Be In My Heart」にぞっこんです。

それでもしばらくは「ヨシヒコくんをうちの(ry」と言っていたのですが。

2002年の再演くらいのタイミングだったでしょうか。

 

「母、やっぱり坂本さんが一番好きかも」

 

突然の(だけど想定内の)カムアウト(笑)。

何故かヨシヒコ君の時のように「娘の婿に!」とは言わず、「母は坂本さんが好き!」と言います。「もちろん連れて来てくれても構わないわよ?」とは言うんですが、何かが違うみたいです。

歌声で惹かれたっていうざっくりとした部分は同じはずなんですけどねぇ。

 

かくして、我が家の担当図は

母:坂本担

私:坂本担

上の妹:博様担

下の妹:健ちゃん担

という形に収まりました。これは2014年現在でも変わりません。*8

思えば初めて家族で参戦した「東京サンダンス」(再演)から13年半が経ったのですね。よくここまで家族みんながブイを好きなままでいられてるなー。それだけブイがひきつける何かを持っているんだと思います。うちの家族の会話は7割5分がブイ、ひいてはジャニの話です。ほんと、録音したらひどいことになってると思いますよ(笑)。

でもそのおかげで「家族間で会話がない」という状況はありません。

性格面を考えるとうちの家族は物理的な距離を少し保ったままの方がいい関係も保てるタイプなのですが、その中で何やかやと集まる機会や話をする機会をくれるのがブイとかジャニ全般の公演だったりするんです。

まさかそんな存在になるなんて、今日書いた内容を過ごしていた頃には微塵も思ってなかったけれど。

ありがとうV6。今日は彼らの19回目のデビュー記念日。

 

*1:「母はもう母をやめる!これからは自分の為に生きるの!」と高らかに宣言したのです。当時私は大学4年生でしたが、これから高校生になるという下の妹は「いやちょっと待てよ…」と正直思ったそうです。

*2:短大を卒業し、別の短大をまた受験したのです。でも推薦だったかも

*3:なんちゃって音楽系の大学を卒業し、プレイヤーへの道を進むかどうかでまごまごしていた時期だったのです。

*4:父にお願いして渋谷まで車で迎えに来てもらいました。ひたすら騒ぎ続ける女4人を乗せ、父も大変だったことと思います…

*5:これはまた別の機会にでも

*6:や、今でもクローズしてないだけで放置しっぱなしで実はあるんですサイト。ちょっと整理したいなとは思ってるんですが

*7:当時はチケ掲でのやりとりが主流

*8:ここに別Gの担当が増え、家族が増え…となっていきますw